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「ゲームがなんの役に立つの」
ハイ。
これはゲームに限らず、日本において「子供の楽しみ」を批判する大人の常套句という気がします。 現代にあってはここの主語は「ゲーム」ですが、かつては「漫画」、或いは「テレビ」、それ以前は「映画」や「小説」だったかもしれません。 学校が一般的になる前は「勉強」ですらそう言われていたでしょう。
「それが何の役に立つの」
自分の知らないものを人が楽しんでいると、えてして日本人はそう口にするらしい。
慣れないことをやらされると「これは間違ってる」と思いがちな大人は尚更です。
役に立つか立たないかで二極化される価値観。 金儲け主義の腐臭が漂う気がしますが、ま、日本人の勤勉さの表れとも言えるでしょう。
一方で消費者の我儘に素直な日本人――僕はよき資質と信じます――は、およそあらゆるものを「役立てよう」と頑張ってきています。 テレビでも漫画でも「教育」や「情報」を提供するのはいまや当たり前。 それを選ぶかどうかは消費者の自由として、最近はゲームでも「脳力開発」とか「英語学習」とか流行ってますよね。 使い道も考えずに頭よくなりたいなんてのも変な話だと僕なんかは思うんですが……まあゲームのイメージが良くなるなら、ゲーム好きとして悪い気はしません。
が。
そこで僕はあえて問いたい。
「役に立つもの」の提示は、それ以外のものの価値を暗に否定してはいないか。
「役に立つもの」を否定したいわけではありません。
ただ「それって結局ゲームそのものの価値を認めてないじゃん?」と思うだけです。
「結局いまだに子供の遊びって価値を認められてないんじゃん?」と思うだけです。
生産に繋がらないというだけで否定される数々の「遊び」。
それを三度の食事より大事にしている子供心はその遊びに「何か」があるのだと言いたいが、言葉にならない。 言葉にならないまま時代は繰り返し、かくして疑問は受け継がれるのでしょう。 「それがなんの役に立つの?」
ならば。
言葉足らずな子供心に代わって僕が答えます。
「思い出作り!」
ゲームは思い出ですよ、本当に。
「達成感」という最上の思い出をくれるものです。
それ以外の何ものでもない。
皆がやっているものに飛び込みたくなるのもその所為ですよ。
だって思い出は大勢の友達と共有すればするほど楽しいですからね。 その割にプレイ自体は一人で楽しむものが多いというのもミソです。 ヒミツっぽさが増すのです。 遊びにはヒミツが多いのがいいのです。 宝物はヒミツなものなのです。 そのヒミツを仲間で共有するから楽しいのです。
そう、ヒミツが多いからこそ、「遊び」はそのヒミツの外部の人間に批判されるのでしょう。
つまり「それがなんの役に立つ」という言葉の裏にあるものは疎外感。
そんな風に言われたら、ムキになって証明するよりも、「楽しいよ?」などと微笑んでおくのがいいのでしょうね。 何に楽しみや達成感を感じるかは人それぞれです。 めんどくさいと思う人には理解できないのがゲームです。
人間は思い出で出来ている。
思い出の豊かさこそ人間の豊かさであると僕は思います。
例えば僕の場合、そんな思い出の一ジャンルにゲームがある、と。
まあ、それだけの話なんですけども。
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+++++++++2006,6,26
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